やっちゃんの珈琲たいむ

2020年06月

トマトの収穫
トマトが続々
今日で1年の半分が終了。その最後にトマト登場。
この何年か庭の一角にトマトを植えている。植えているといっても実に衝動的な植え方。スーパーの園芸売り場でたまたま見つけた小さな苗を買ってきて地植えにしているのだが、衝動的といえるのは苗を買おうと思ってスーパーを訪ねていないことだ。昨年まではミニトマトが主流だったが、どうせ作るなら人並みのトマトを・・・ということでごく普通のトマトを2つ買ってきて植えてみた。
6月初旬に大きなトマトが赤くなり始めたのでウキウキしているうちに、気がついたら見えない方の半分がカラスに食われていた。お陰で第一号は僕の口に入らずに消滅。そして、ちょっと小ぶりのトマト第2号が出来た。今度はカラスに狙われる前に収穫できた。ミニトマトを育てている時にも周りに網を張ったくらいだから大きくて目立つトマトだからそろそろカラス対策を打たなければ・・・。お隣のトマト畑は雨に濡れないようにビニールの屋根がついている。トマトはあまり水を与えないほうが甘くなるのだという。それに比べて我が家のトマトは自由奔放。

半夏生
半夏生半夏生
新型コロナウイルスで終始した6月も後1日で終わる。移動自粛が解除され県境を越えての移動が自由になったが、場所によっては自粛が解除される以前より感染者数が増えていて、またもとに戻ってしまったかのように見えるが、ここでまた制限がかかることはなく、新型コロナウイルスとの共生が我々の日常生活になってきた。
伝染性のあるインフルエンザとも我々は共生してきているが、大きな違いはワクチンが開発されていないこと。さらに質が悪いのはどんどん地域で変化していていろいろなタイプが生み出されているかのようだ。一体どこの国が強力なワクチンを一番で開発できるかが見もの。オリンピックも控えている日本で開発されたら最高なのだが・・・。
七十二候の一つである半夏生。夏至から数えて11日目、今年は7月1日になる。6月18日に咲きはじめの半夏生の姿をアップしたが、今が正にピークで、語呂合わせの半化粧ではなく、お化粧も仕上げの段階。一枚一枚の葉が殆ど真っ白になってきた。そして白かった花が黄色に変わった。この姿がいかにもこれから飛び立つ白鳥みたいに見える。新型コロナウイルス禍から早く脱出したいと訴えているかのようにも見えてしまうのは僕の願望でもある。



山百合第1号
間もなく第2号が開花山百合の蕾山百合の蕾
数日前から山百合の蕾が目立ってきて、開花の秒読み態勢になった。かよわかった山百合も梅雨の訪れと共に日に日に茎が太くなり、背丈も伸びてたくましくなってきた。普段何気なく見ている百合の蕾もよくよく見ると実に独特な形をしている。花が大きいのと、まるで梅雨時に傘を開こうとしているような構造をしているから、他の花と違ってアピール力がとてもある。
開花前にずらりと並んだ山百合の蕾を一度、ブログにアップしようと考えていたのだが、考えているうちに第1号が開花。そして、続いて第2号も半分開きかけている。
近づくと百合独特の香りが漂ってくる。今年は一体どのくらいの数、咲いてくれるのか蕾を数えてみたら20個は咲いてくれそうだ。この中のどれかわからなくなってしまったが、その昔、地植えした1本のピンクの百合も混ざっている。

屋根の掃除
シトシトと雨が降り、湿度が70%を超える。考えてみただけでも蒸し暑さを感じる。梅雨の合間の晴れは実に価値がある。夜夜中、何となく「スースー」雑音が聞こえると思ったら、その原因が翌日判明。お隣の竹やぶの竹が1本斜めになっていて、その先が我が家の屋根を風に吹かれて掃除していた。
人様の庭に生えている竹を切る訳にもいかないので、お隣に連絡して切ってもらうことに。
竹は見た目には素敵なのだが、この笹の葉が実に始末が悪い。大体笹の葉はなかなか枯れない。そして良く風に舞って飛び回る。一番困るのが、屋根の樋に葉が詰まること。樋に入った笹が積み重なって樋を塞いでしまう。そのために、神経質に防御しようとすると樋に網をかけたりする。我が家の樋にはそのような策を講じていないから、毎年1度樋掃除が年中行事になっている。
一度自分でやったことがあるが、高所恐怖症でもあり、梯子から落ちたら余計面倒なので専門家に依頼したほうが安くつく。


結構な混雑
SCの入り口車も渋滞店の入り口のメッセージ
以前だと必要な物がなくなるとたった一つでも足腰軽く出かけていた。ところがこの数か月、自宅で自粛していたら外に出かけることが実に億劫になってきた。だから買い物もある程度まとまったらそこから行動を起こす…まあ考えてみればごく当たり前の行動に戻った感じ。梅雨の合間の晴れ間に横須賀の中心地の店に出かけた。移動が緩和されてから初めてウイークデーの昼間に行ってみたが、新型コロナイウルス禍の前の状況とあまり変わっていなかった。マスクをしていない人も時々散見された。まだウイルスが終息した訳でもないのだが、結構、外に出ている人たちは自然体。
目に見えないウイルスは人によって相当感じ方が違う。僕は高齢を理由に結構臆病になっているが、同じ年齢でも全然感じていない人もいれば、持病を抱えている人は僕以上に深刻に考えている人もいる。経済の疲弊を避けるために新型コロナウイルスとの共生が始まったが、感染する比率は非常に低いのだが、誰に潜んでいるかはわからない。感染してしまったら、どれだけ人様に迷惑をかけるか計り知れない。だから、もう少し先が見えるまで臆病になっていたほうが良さそうだ。

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