やっちゃんの珈琲たいむ

2018年12月

床の軸
いつもお世話になっている円覚寺の龍隠庵で講和があった。以前も何度かお話を聴くチャンスがあったが、最近はチャンスがなく、迫力のある独特の話し方をすっかり忘れていた。知る人ぞ知る哲学者で東洋思想史の研究家でもある境野勝悟先生のお話。先生は神奈川県にある進学校栄光学園高等学校から早稲田大学を経て母校の栄光学園の国語の教員として教鞭を執り、その後、同校を退職し駒澤大学大学院に入りなおして東洋思想の研究をされた。現在は大磯町に「道塾慶陽館」を主宰している。今回の会場は普段お茶のお稽古をする円覚寺龍隠庵の茶室。総てを片付け折りたたみの小さな机が並べられ、20数人が受講した。テーマは「茶禅一味」。身近な題材で禅の心とお茶についてお話いただいた。一所懸命理解しようと頑張ったがもともと不勉強なのでそうは簡単に理解できよう筈もない。消化不良については先生の著書で総復習。会場の床には住職が保管庫から探しだし、前円覚寺管長の軸が飾られた。年の瀬に相応しい「無事」と書かれている。この軸をみて今年1年を振り返るのも面白い。

ホヤ・カーリー
先輩のホヤ・カーリーハヤ・カーリー
随分前にハートの形をしている肉厚の葉ホヤ・カーリーを2ついただいた。2つを植木鉢で育てていたが、いつまでたっても何も変化がなくそのうちに1つが枯れてしまった。その後、生き残った葉はあるのだが、一向に変化がなくじ~と耐えている。育て方を調べると意外に簡単で難しい訳でもない。適当に陽が射し、表面の土が乾いたら水遣りをする程度だからほぼ同じようなことをやっている筈なのだが変化がない。いただいた親友に聞いたら特別な育て方をしている訳ではなにのにどんどん増えているという。取りあえず我が家のホヤを観察して育てる必要があるのだが、余りにも心もとないので1つもらうことにした。それがSPAMの缶に入っているハート・カーリー。葉の下に茎がある。我が家のカーリーさんは土から歯が生えているかのように1枚だけ顔を出している(下段左)がこの姿で4年は経っている。栄養も与えているのだが、何故変化がないのだろう。







素敵なお料理
お店から見えた風景 (2)お店から見えた風景
このところすっかり出不精になり、机に向かっていることが多い。ヨットに乗っている時には家にいることが殆どないくらい出っぱなしだった。それがいまやまるで正反対の時間の使い方になってしまった。そんなことも心配してくれて忘年会が企画された。以前、和服から作ったアロハシャツの展覧会を横須賀で開催したが、その時の作家とデザイナーの3人の仲間。作家のFさんは三浦市と東京杉並区で和裁教室を開いていて沢山のお弟子さんを持っていて超忙しい。一方、強力な助っ人であるデザイナーのOさんも仕事が忙しくてなかなか時間が取れない状況。僕だけ仕事をしていないので予め予定が分かれば出かけることが出来るということで今回の忘年会がきまった。場所は横浜駅東口スカイビル。案内をいただいてすぐ予定表に日時と場所を書いた。それを頼りにスカイビルをうろうろしたが、お目当ての会場が見つからない。やむを得ず電話で場所を確認したら、スカイビルの8Fだと思っていたら28Fの間違いだった。いくら見つけてもない訳だ。初めの案内は確かに8F。しかし、その後28Fに訂正されていたのを見過ごしていたことが判明。既に2人が待っている会場に駆け込むしまつ。午前中は雨が降っていたのに約束の時間にはすっかり晴れ渡り横浜の360度を眺めながら素敵なお料理で締めくくった。この店「響」という名前。どこかで聞いたようなと思ったら、サントリーのウイスキー「響」と同名。サントリーの経営しているお店だった。

リハビリ室
人気の横須賀市民病院
一見どこのスポーツジムかと思ってしまうが、ここは病院のリハビリ室。本来はこんなところを撮影するのは不謹慎というものだろう。患者さんがいなかったので撮影した。昔、一緒に仕事をした親友が膝を痛めて入院した。今まで膝が悪いとは聞いたことがなかったので、ちょっとびっくりしたが、今年の夏前に発症して膝の手術をしなければならない重症になっていた。手術が無事終わったころ合いを見てお見舞いに伺った。
この病院は我が家から車で行くと近く、以前にも何度かお世話になったことがあるが整形外科以外の科目だった。一昨年のことだが、中学、高校のクラスメイトがここで大手術をしたことがある。学生時代はテニスで活躍していたが還暦を過ぎたころから段々と膝が変形してしまい歩くのもままならないことになってしまった。長い間通っていた接骨院を諦めてやっとこの病院にたどり着いた。2年に分けて膝にインプラントを入れ、今は見事回復した。大手術の経過を聞き今の姿を見たら感激ものだ。今やこの病院は全国区。そういう裏付けがあったので親友が良い病院を選んだと内心喜んだ。最近の医療は手術してすぐリハビリを始める。そうしないと筋肉が固まってしまうからだそうだ。手術間がない時が一番辛い時だろう。しかし、それにもめげず少しでも早く歩けるようになりたいと取り組んでいる親友の姿に教えられる。

オーストラリアからクリスマスカード
ヨットの世界は実に狭い。僕がヨットにのめりこんだきっかけは葉山鐙摺港で先輩のクルーザー「韋駄天」に乗せていただいたことが始まりだ。26ftの素敵な船だった。「韋駄天」の横にはMAHANAがあったが、その船に時々遊びに来る仲間の女性たちと10数年後、毎年開催されるヨットレースKENNOSUKE CUPで再会することになった。彼女たちは毎年重要なスタッフとして活躍している。一人は例年司会進行を務めるKさんそしてもう一人はSさん。Sさんは時々、水産庁の船で地球を周っている強者で、航海距離だったら普通のヨットマンとは比較にならないくらいの長距離航海をしている。その彼女が今、また航海に出たと聞いていたが、彼女からクリスマスカードが届いた。オーストラリアのフリーマントル(インド洋の南、南極海のすぐ手前)から。

お元気ですか?今、フリーマントルでこれを書いています。9月末に「南氷洋へ行く船に4か月乗らないか」と連絡があり、迷ったけれど乗ってしまいました。今回の私の仕事は台所の下っぱで、覚悟はしていたけれどキツイです。これから40日間オキアミ調査で、次はメルボルン入港。そしてまた40日間調査の後、シドニーに寄港して日本へは3月22日に帰ります。次にお会いするのはKENNSOUKE CUPですね。いつも楽しみにしています。
もともと彼女は英語が堪能なので以前の航海では通訳として乗りこんでいたが、今回も大いに才能を発揮しているに違いない。地球規模のスケールそして行動力と勇気を見ていると我々がいかにちっぽけかが良く分かる。帰国してからのお土産話が今から楽しみ。

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