やっちゃんの珈琲たいむ

2018年12月

韓国語に翻訳されました
電通に勤めていた高橋まつりさんが亡くなって間もなく3年になる。お母さんとの強い絆で結ばれていた筈が悲しい結末になってしまった。悲しいことだが高橋まつりさんの死はその後の日本の労働環境を大きく変革していくための糸口になった。
この難しい本を昨日のブログに登場した詩の作者、노미애(ノミエ)さんと僕の韓国語の先生である최효옥(チェヒョウオック)さんが今年初めから韓国語の翻訳に取り組んでいた。時々、内容のことで質問が来る度に調べまくってお応えしていた。秋口になって翻訳が完成。その後すんなりと出版されるのかと思ったら、日本の出版元との調整が新たに発生して一時中断した。韓国で出版するのは難しいかもしれないと落胆していたが、その後、どのような経緯か分からないがまた出版が再燃して、この度、やっと完成。韓国版の「過労死ゼロの社会を」が送られてきた。日本語版と韓国版。僕の実力では韓国版を辞書なしでは読み切れないが、辞書なしで読めるように頑張らずになれる日を夢見る。

ノミエさんの詩
お礼のメッセージノミエさんからの色紙
韓国に関係したお話が続きます。
今年の10月11日のブログに詩を翻訳した話を載せてある。夏に韓国の日本語勉強会グループの一人ノミエさんから詩が送られてきた。その詩を翻訳をして欲しいとリクエスト付き。初めは恐れ多く躊躇していたが、ノミエさんの詩に取り組んだ姿勢を何度も何度も伺って日本語に翻訳してみた。ノミエさんも日本語を一所懸命勉強していて、その実力は大したものだから、僕などに依頼しなくても充分日本語に訳せる。敢えて僕との共同作業を望んだ背景には日韓の交流会でこの詩を発表することが決まったからだった。苦心の挙句出来上がった拙い僕の日本語訳をとても気に入ってくれ、目下認知症で老人ホームに入っていられるお母さんの若かりし頃の写真に詩を刷りこみ送ってきてくれた。
その後、無事この詩の発表会が終了したが、今回、野草の写真に詩を刷りこみ額装して我が家に送ってくれた。ノミエさんはとても多彩な方で、韓国のラジオのパーソナリティー、趣味で野山の野草を撮影したり、絵も描いている。毎週土曜日には日本語の勉強会にも熱心に取り組んでいて時々、読んでいて理解できない事があると質問がくる。それもかなり難しい質問だ。因みに今は岩波書店刊 宮本常一著「忘れられた日本人」に取り組んでいる。

水前寺公園で
熊本城日本人旅行者と熊本県庁でランチ
メニューケースの前であいにくの雨水前寺公園で
Merry Christmas to you!
昨日のブログでご紹介した韓国の柳(유인주)さんが熊本にやってきた。知らない人の観光旅行写真を並べても興味がないかもしれないが楽しそうなスナップ写真なので是非ご覧ください。ここがどこの場所か分かれば相当の旅行通。彼は現在韓国の関税庁に勤務しているが12月で定年を迎える。おんとし60歳。日本の定年と一緒だ。その前のちょっと空いた時間を使って熊本にやってきた。熊本を選んだのは大地震の後の復興状態を見たかったから。熊本を歩きまわりそこで撮ったスナップを大量に送ってくれた。一人旅なのだが、流暢な日本語を話すから日本を旅しても全く不自由しない。アッという間の2泊3日だったのだが、積極的に日本人に声をかけていろいろ親切にされた話、熊本の復興の話、食べ物の話や値段の話など勉強会の時間を使ってスカイプで報告を受けた。今回は熊本の県内を周遊する旅だったが、言葉が話せるということが旅行の楽しさをケタ違いに引きだしている。彼がとても感心していたことの一つに、地元の企業が活躍していたことを挙げた。韓国では考えられないことだそうだ。韓国では全国津々浦々デパートやスーパーはソウルと全く同じ店が力を発揮しているからどこも同じ顔をしている。熊本は地元のデパートがしっかり根付いていて理想的な地方の力を感じたと言っていた。

コラム用のノート
こんなふうに貼布ノートの中ノートの中
韓国の税関庁に勤める유인주(柳)さんにヨットがご縁で知り合いあって約10年。彼の熱烈なリクエストで日本語の勉強会を続けてきた。教材は日本の新聞のコラム。初めは朝日新聞の天声人語だけだったが段々エスカレートして今は天声人語、読売新聞の編集手帳、毎日の余録、更に小説を教材にしている。初めは毎日のコラムをプリントして用紙を積みっぱなしにしていたが、5年ぐらい前から100円ショップで買った40ページ綴りのノートに貼ってきた。40ページにコラムを貼っていくから1冊が終わる40日目には2倍の厚さの80頁に膨れ上がる。先方から質問されたことをメモしたり、あやふやなことを事前に調べたりと自分自身の勉強になるから続けてこられたものの、自分自身大した力がないことは分かっているから教えるだけの姿勢だったらきっと長続きはしなかっただろう。
以前はコラムを貼りつけたノートを積み上げていたが、古いノートをいつまでも保管していても活用しないので少し溜まっては処分しているから今はノートの表紙に書かれたナンバーだけが歴史の証。このノートを頼りに朝晩勉強会を続けているのでお相手の우인주さんは日本人以上の語学力。平成最後の12月末に47冊目のノートに交換した。

あじの酢丼
ヤリイカヒラメかます
ヤリイカ、かます、あじそしてヒラメがトラ箱からお皿に盛られて皆に配られた。12月最初のお魚教室(あじの会)が12月19日に開かれた。年末で何となく慌ただしい毎日を送ってはいるがここに来る人たちはお魚の料理教室がよほど好きなのだと思う。レギュラーメンバーが勢揃いした。今回のお魚はまたまた種類が多い。一体どんな料理になるのだろうかと思ったら殆どがお魚を開く練習をして自宅に持ち帰りすることになった。そして、我々がランチで食べたのがあじ酢丼、かますのフライとゲソの酢のもの。アジ酢丼はあまり食べたことがなかったがなかなかのお勧め。上の写真の右上のお皿。たまたま入荷したアジが小ぶりだったので丼ぶりになった。作り方は実に簡単。アジを三枚開きにして塩をふり、その後で酢に暫くつけておく。食べる前になったら皮を剥く。お皿にご飯をもり、先ず海苔、大葉、生姜を千切りにしてかけ、その上に酢につけていたアジを放射状に並べて出来上がり。12月はもう一度「あじの会」が開かれる。

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