やっちゃんの珈琲たいむ

2018年11月

黄色いポスト
黄色いポストの解説橿原神宮駅前橿原神宮駅
近鉄橿原神宮駅と橿原神宮は一直線。これが反対側に出てしまうと全く雰囲気が薄れる。神宮を散策した我々は駅に急いだ。最近は日暮れが早い。ましてやお天気がちょっと曇りでもあったので余計日暮れが早そうに感じた。駅に通じる街路樹は銀杏の木。道路の両サイドに植えられていたが、日当たりの関係からか片側だけは黄葉で片側は黄色と黄緑のミックス。今年は塩害で葉が枯れてしまい、美しい黄葉や紅葉が見れないと言われていたので道路の片側だけでも黄色い銀杏並木がみれて秋を感じた。
駅に近づいたら駅の前に黄色いポストが立っている。その昔、速達用の青いポストが立っていた時代があったが、最近は全く見かけなくなった。(僕が見ないだけかもしれない。)珍しいと思い、ポストに近づいたらこの黄色いポストは2年前に建てられた「幸せの黄色いポスト」だった。下段左端の解説を大きくしてご覧ください。
ここから近鉄の快速に乗って京都で仲間はそれぞればらばらになった。一人は写真を撮りたいともう一泊、京都滞在。そしてもう一人は横浜まで、僕は小田原で降りて大船経由で10時過ぎに自宅到着。日本の歴史に触れあう2日間だった。


橿原神宮
橿原神宮橿原神宮橿原神宮
橿原神宮橿原神宮橿原神宮
自転車で約5時間近く明日香村を周ったが流石アシスト付きの自転車はちっとも疲れなかった。最後のスポットは橿原神宮。自転車を返却する前に橿原神宮を訪ねる予定でいたが、返却する自転車レンタル店は橿原神宮とは反対の南口にある。迷った挙句、先に自転車を返却してくるっと回って橿原神宮まで歩いた。橿原神宮は広大な敷地。自転車で移動できる場所は制限があったから自転車返却は正解だった。やはり神社はゆっくり玉砂利を踏みながら歩くのがよく似会う。
橿原神宮は橿原市の畝傍山の南東麓に位置する。記紀伝承の橿原宮の旧址だという。祭神は神武天皇と媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)皇后。建てられたのは意外に歴史が新しい。1889年(明治22年)の創建。
有名な神社なのだが、やはりウイークデーのせいか、七五三の家族が一組、老人グループ1つに出くわした以外は人がいなかった。ちょうど菊の展示ブースがあったが、お客さまがいないから展覧会も寂しい限り。たまたま訪ねた日は静かだったが、お正月ともなれば肩と肩とがぶつかるくらいの大混雑になるに違いない。

甘樫丘から
桜の狂い咲き落ち葉が敷き詰められた展望台見事なピラカンサスの木
石舞台を堪能してからまた西側に向かい橿原神宮駅を目指した。最後は橿原神宮駅から近鉄で京都に出て夕方の新幹線に乗るのだが、その前に駅前にある樫原神宮を見ようということになった。その途中で立ち寄ったのがこの甘樫地区。明日香村が一望できる山の頂上が展望台となっている。展望台と言っても何か設備があるわけではなかった。観光地の展望台というと茶店があり有料の望遠鏡が並んだりするところが殆どだが、ここは小高い丘。自然でなかなか良い。自転車は駐輪場に置いて20分ほど上り坂を歩いた。坂道にはこの地独特の植物が生えていて植物園のよう。展望台には落ち葉が一面に敷き詰められたように落ちていたが、周囲だけは掃き寄せられていた。ここからの明日香村の田園風景が何とも素晴らしかった。高層ビルがない風景を見るのは久しぶりだ。

石舞台
石舞台の解説綺麗に整備された石舞台石舞台
よくぞこんな大きな石が積み上げられたものだ石舞台の下は地下に入ってみた
明日香村の東側にある巨大な石が積み上げられた石舞台は想像していた通りだった。しかし、作られたのが7世紀である。一体どうやって作られたのか誰でも疑問に思う。解説の看板には丁寧に説明がされていた。ただあくまでも想像の世界。ここも人が殆どいなかったが若い男性が写真を撮っている姿が下段左端の写真に写っている。石の大きさと比較できる。昭和の初めに周りの土が崩れ石が露出して発見された。方墳又は上円下方墳と言われる。一説には蘇我馬子のお墓ではないかと言われている。
訪れる人がいなかったのでゆっくり拝見。仲間はその昔、来たことがあったが昔と見違えるほど綺麗に整備されていると一言。余り綺麗に整備され過ぎていると現実離れしてしまう。石の360度を見て、地下の石室を見たが今の時代は重機があるから案外簡単に作られるだろうがこの時代には時間と労力がどれだけかかったか。
帰りがけに観光バスが到着。いきなり沢山の団体客が石舞台を囲んだ。ガイドさんの説明を聞きながら自転車に戻った。








橘寺
橘寺橘寺橘寺
橘寺観音堂修復工事橘寺
飛鳥で是非見てみたいと思っていたのが、最近よく話題になる石舞台。天武・持統天皇陵を後に石舞台にむけて東に向かって走っていたら、橘寺の前を通った。仲間の一人が昔友達と来たことがあると叫んだ。ここを通過してしまっては罰が当たると橘寺のスロープを上った。アシスト付きの自転車は全く力を入れなくても登ってくれた。やはりウイークデーだったこともあり、人けがほとんどない。
橘寺は今もお世話になっている聖徳太子の生誕の地とされているところだ。明日香村の天台宗のお寺だ。正称は上宮皇院菩提寺。606年に聖徳太子が建てたと伝えられているが、本当は天智天皇の頃のものだということが分かっている。ここが歴史の面白いところ。その後、荒廃してしまったが、幕末から明治初年になって再興したものだそうだ。今また観音堂の修復工事が計画されていて、浄財を集めていた。目標額一億三千五百万円。聖徳太子だったら集まりそうな気がするが・・・。僕たちは僅かなおさい銭のみだったが。
「聖徳太子聖徳太子」と騒がれている割にはそんなにスポットが当たっていないように見えたのはなぜだろう。


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