やっちゃんの珈琲たいむ

2017年07月

お汁は同じ分量で
お魚の料理教室「あじの会」があった時には後々習った料理方法を少しでも覚えていられるようにブログにアップするようにしている。しかしながら習っている生徒さんのことについては今まであまり載せたことがない。今回は生徒さんの姿を一つアップした。
教室はいつも参加者が12~13人。男女比はほぼ半々。ここにいる2人は一番大先輩と一番新しい生徒さん。
「あじの会」の一番古株さんは左の紳士。僕よりも先輩で既に10数年のキャリがある。元出版社社長さんで俳句、絵手紙、料理、お魚のイラストなどなど何でもこなす好奇心旺盛な尊敬する先輩。そして右側の紳士は僕の高校時代の同級生。大手建設会社を卒業して会社を立ち上げて未だに会社の面倒をみている。工学博士。会に入会して間もなく1年というところか。研究熱心だからさばき方の技術もかなりレベルが上がり今や絶好調だ。
この2人はおろしたお魚の骨を出汁にして味噌汁を作っている。今回は味も量も新入りさんの作。大きな茶碗に真剣になって同じ分量を配分している。
人間の出会いはいろいろあるが、高校時代に一緒に勉強した仲間と70代後半になってお魚の料理を習っているなんていうのもなかなかない再出会いだ。
さ~今日で7月も終わり。時間の過ぎるのが早いこと。

サザエ似
10分間煮る身を食べやすくアジのスジメと一緒に盛り付け
7月ももう終わり。相変わらず酷暑が続いているがそんなことにもめげず7月のお魚の教室が開かれた。
7月のお魚はいわし、あじ、真かれいそして赤にし貝。赤にし貝はちょっと見にはサザエかな?と思えるがよくよく見るとちょっと違う。その昔は東京湾で沢山採れた時期があるらしいが、今はすっかり採れなくなってきていると先生の説明。サザエを料理した時には貝むきをを使って素早く貝と身を離したが、赤にしは1度火を通したのでサザエほど難しくなかった。
先ずはお鍋で5分間強火で煮、続いて5分間弱火に変える。それ以上煮ていると肉が固くなってしまうので時間が大事。強火弱火で10分間煮た赤にし貝を水で冷やし、トレーに並べる。冷えたら殻から身を出す。生のサザエなどと違い一度煮ているので簡単にとれる。身の中ほどにあるエラを外す。
はらわたと上部の身を切り離し、上部は白身を上にして食べやすいように薄く切る。白い色の方を上にしたほうが盛り付けが綺麗。身の上には酢味噌を少し添えた。

ホテイアオイ
ホテイアオイホテイアオイホテイアオイの足元
外に置いてあるメダカ鉢は条件が良いらしく、鉢に植えてある水生植物が伸び伸び育っている。深さが深い甕は土を多くして底上げをし、そこにコウホネを植えた。土の容積が多いから根がよくはり、更に水深も他の鉢よりあるから背丈が高いコウホネが育った。2つある睡蓮鉢にも土を入れ、コウホネを植えた。睡蓮鉢ぐらいの水深だとメダカにとっては大変心地のよい水深になるらしい。コウホネは時々黄色の花を咲かせる。
コウホネだけだと寂しいので一緒にホテイアオイを一つずつ浮かしておいたら、増える増える。確か140円か150円で買ったと思うが今は1本が10本以上になって鉢に入りきらなくなってしまうので、増えた分を鉢から池に移動している。池の方はザリガニがホテイアオイに掴まって食べてしまうのもいるからなかなか育たない。その点、メダカだけだとおとなしいものだ。昨日まで何も予兆がなかったのに、朝起きたらホテイアオイに綺麗な花が咲いていた。
余りにも見事に咲いたのでよくよく見てみると随分凝っている。全体が藤色なのに一番上のたった1枚の花弁だけキャンドルでも灯っているかのようなデザインがされている。
そして翌日には見るも無残に萎れていた。たった1日の命が何とも潔い。

お盆に供える
ミソハギのことを先日ブログにアップしたら、平塚の親友がお盆の行事でミソハギが使われている写真を送ってきてくれた。もっともこの写真はネットで探したらしい。親友の住んでいる地域では昔からの習慣がまだまだ残っていて、律儀に毎年丁寧に取り組んでいる。自宅の庭にミソハギを育てているという。
僕はもともと昔からの風習や伝統にすこぶる弱い。家には仏壇もなければ神棚もないから昔からの儀式を全く知らないできた。
ミソハギの写っている写真には次のような説明があった。ブログをご覧になっている方々の地域ではいかがだろうか?
ミソハギはお盆の必需品。お盆になると親友の地域では仏壇から総てを出して扉を閉め、精霊棚を作りここでミソハギが登場する。賽の目に切ったナスを里芋の葉に乗せ、ミソハギを束ねて浄水をかけ、ナスにかける。
これはお盆で供養する餓鬼がのどが狭くてご飯が食べられないことから、のどの渇きを抑える言い伝えからこのような風習が残っているのだそうだ。一緒に去年の精霊棚の写真も送ってきてくれた。大層立派な精霊棚で、僕は初めて見た。
生まれてから小学校2年生まで横浜の田舎に住んでいた時にはお爺さんやお婆さんがいて、昔からの風習をきちんと実践していたが、横浜を離れてからは全くと言って良いくらい昔の風習に触れなくなってしまった。祖先を敬うのはせめてお墓参りだけ。時代と共に古い習慣は忘れ日本の古き良き文化も置き忘れて来てしまっているのかもしれない。ミソハギを植えたことで思わぬ歴史を知ることになった。地域のよってはまだまだ沢山のしきたりがある筈。

蝉の抜け殻
梅雨明けの少し前から蝉の鳴き声が聞こえだした。家の周りは木だらけだから蝉が出てくるのは当然といえば当然だが、声はすれどもどこで鳴いているかということは分からない。昔だったら鳴き声がどこから来ているのか懸命になって探したものだが、今は全くその気にならない。
小学校時代には針金で輪を作り、それを竹竿の先端に付けてその輪に蜘蛛の巣を絡ませて昆虫採集の道具を作った。蜘蛛の巣を輪に何十にも絡ませるとベタベタして昆虫がくっつく。捕まえた昆虫に蜘蛛の糸が絡まないから昆虫が綺麗だった。お金がある時には家の側の子どもの溜まり場だった駄菓子屋に出かけた。ここでトリモチを売っていて、店の奥の方から缶に入ったトリモチを割りばしにつけて売ってくれた。本来は鳥を採るためのものだったのだろうがこのトリモチを長い竹の先に絡ませると高い木にとまっている蝉や遠くにとまっているトンボがペタリとくっついて採集出来た。早めにトリモチから離さないと蝉やトンボにトリモチが付いてしまうので急いでトリモチから引き離した記憶が今も鮮明に残る。
庭のペパーミントの葉にセミの抜け殻が付いていた。きっとこの下の地面から登ってきたに違いない。地下生活をスタートした時にはまだこの場所にペパーミントは植えていなかったから地面に出て来てさぞかし驚いたに違いない。セミの抜け殻をみるといよいよ夏も本番だ。

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