やっちゃんの珈琲たいむ

2016年10月

YさんとIさん
日本語翻訳研究会会長さんと
撮影が始まる前にNさんがコーヒーを入れてくれたYさんが真剣に脚本をに目を通す2人の女性カメラウーマン
小さなタコ小さなタコ僕の名前がランチョンマットに書いてある
ランチョンマットを持って料理がだんだん出来上がっていく韓国の漬物が
2人で語る場面監督のダメ出し皆真剣に聞いている
Nさんのラジオ番組に出演がきまるとその情報が流れて、是非、テレビの番組も作りたいという話がまとまった。Nさんがいつも僕のブログを読んでいて、僕が時々お魚の料理教室に通っていることをちゃんと知っていた。
日本を発つ前に、Nさんから説明があり、日本語翻訳研究会の仲間と一緒に韓国のタコを使った料理を作りながら日本と韓国の食文化の違いを番組で表現したいとコンセプトらしきものは聞いていた。僕の韓国旅行最終日(10月2日)だ。
地下鉄4号線の誠信女大入口駅(선신여대입구駅)で朝、10時50分に皆と待ち合わせた。約束の時間より早めに到着してしまい、駅のそばのダンキンドーナッツでコーヒーを飲んで時間調整をした。そのうちに、待ち合わせ場所に三々五々メンバーが集まりだした。全員日本語翻訳研究会のメンバーで、会長(写真2段目)、仲間5人と僕の7人。
誠信女大入口駅近くに仲間の調理室を借り、そこで皆でタコをテーマにした料理をした。Nさんからは一緒に料理作りのお手伝いして欲しいとだけ言われ、気楽なもの。時々、僕にメンバーからいろいろな質問が飛んだ。この質問で日本と韓国との違いを浮き彫りにするというもの。僕も料理の専門家ではないからかなり適当な返事をした時もあった。撮影しているうちにどこにカメラがあるのかは全く意識しなくなった。不思議なことだ。
今回のカメラは2人の女性。チーフカメラマンは韓国KBSテレビでも沢山の良い作品を残している有名な方。撮影している間に何度もNさんがダメ出しを受け、そのたびに僕にもいろいろ要望が出た。料理が出来上がり、全員(何度もあっているメンバーなので)で楽しく食べ終わった。
そのうちに脚本にはなかったが、僕と韓国との接点を説明して欲しいと急遽提案があり、カメラに向かって長い間話をする羽目に。日本人の中で話をしているのと違い、韓国の人たちの中で話ていたので、余り緊張もせず食べ終わった食器洗いまでやって終了。作品は編集されてそのうちに流れるというがいつどこの番組で流れるかはこの時点では分からなかった。
初めての体験は実に貴重な韓国旅行の思い出になった。みんな人が良い。












韓国家具博物館
博物館入口中庭中庭
博物館の古い建物オンドルの煙突博物館を囲む塀の内側
中庭甕の貯蔵場所韓国伝統家具(ネットから)
日本を出発する前にNさんから韓国の家具に興味があるかどうか問い合わせがあった。面白そうなので興味があると返事をした。韓国の伝統家具を展示している博物館があり、1日何組か限定で見学ができるので、申し込みをしてくれるという。楽しみにして待っていたが、僕の滞在中にはチケットが取れないことが分かった。諦めかけていたとき、出発直前にキャンセルが出たのでチケットが取れたと連絡をいただいた。
10月1日、地下鉄4号線の한성대입구駅6番出口でC先生とNさんの3人で待ち合わせた。
世界の大使館が立ち並ぶ高級住宅地の中に博物館はあった。お名前を聞いたのだが書きそびれてしまったのが情けないが、韓国初めての女性弁護士と有名な政治家が結婚し、その娘さんが1954年に建てた博物館であるとNさんが教えてくれた。
残念ながら肝心の家具は撮影禁止で撮ることができなかったが、伝統の家具が時代を追ってきれいに展示され、若い女性の案内係が我々3人の前と後ろについて案内してくれた。ちょうど同じ時間に一組の韓国のご夫婦も別の2人のガイドさんに説明を受けていた。
時々、国賓がいらっしゃるらしく、大統領が○○国の○○さんとここで会食をしたなどと説明してくれた。
最後に韓国の伝統家具がどんなものか皆目見当がつかないのはまずいのでネットで韓国の伝統的家具の写真を1枚拝借した。





韓龍雲(한용운)の彫刻と詩
急坂の上に尋牛荘はあった細い坂道の先に尋牛荘
鳥のオブジェ樋の水が嘴から下に略歴と有名な歌
そして次に訪ねたのが尋牛荘だ。
今回の韓国訪問はお会いする方々皆が申し訳ないほど好意的で普通の旅では経験できないことをいろいろ経験させてもらった。
日本と韓国の悲しい歴史の局面は殆ど見えなかった。ただ、Yさんと一緒に行った独立記念館を見学した時、その一端をみた。
尋牛荘を訪ねた時、また韓国の悲しい歴史を知ることになる。道路わきの小さな公園に石のベンチがあり、そこにブロンズの僧侶の彫刻が置かれている。詩人、僧侶で独立運動家であった韓龍雲(한요운 ハン ヨンウン)の彫刻だ。その横には有名な詩が彫られている。
韓龍雲(1879~1944)は1918年に来日。日本の近代化や宗教学校、社会福祉事業に深い関心を抱く。一方、植民地下の朝鮮民族の処遇問題に関心を持つようになり、東京YMCAの朝鮮独立運動に参加。1933年からは朝鮮日報に長編小説を連載する。その間も抗日運動を続け、1938年には朝鮮総督府が神社参拝を強要したことから抵抗し投獄された。1940年には創氏改名反対運動、1943年には朝鮮人学徒兵制反対運動を展開するが1944年に中風と栄養失調でその生涯を遂げる。韓国政府は1962年に彼の功績を称え建国勲章を追叙した。
この尋牛荘はその生涯を終える11年間住み続けた家だ。この家は北向きに建てられている。本来は南向きに建てるのが普通だが、南側には朝鮮総督府があったためと言われる。
週末の金曜日に訪れたが、僕たちの他には数人の韓国グループが来ていた。




杜門即時深山の有名な扁額
記念館入口記念館の扁額記念館の裏道
京畿道地域でよく見られた韓国の建築様式中庭の樋の水受けの水を飲む鳩樋の水が地面の甕に流れる
漬物類の甕は北側に置かれた中庭中庭
Nさんが色々な資料館を案内してくれた。その一つが崔淳雨(チェ スヌ)の記念館である。崔淳雨(チェ スヌ1916~1984)は韓国の文化財保護、教育プログラムなど韓国の博物館の基礎を固めた人。第4代国立中央博物館の館長になり、亡くなるまで博物館のために生きた。アメリカ、ヨーロッパ、日本など世界各地を巡回しながら韓国美術2千年展や5千年展などを開催し、韓国文化のアイデンティーを高らしめた韓国の偉人。
この記念館はチェ スヌ氏の住まいで、氏の功績を称え、ナショナルトラストの市民運動を通じて記念館として保存されている。
ソウルに流行った都市型の典型的な建物で、舎廊房(サランバン)と奥の間(アンバン)、娘が使った部屋(ゴンノンバン)があり、中庭をくるっと囲む四角い構造になっている。中庭の植物は氏が植えたものと言われていて、四季の花々が咲く。
上の写真の扁額は「杜門即時深山」と面白い配列で書かれ、門を閉めればこちらが即ち深い山の中だという意味の氏の直筆。記念館の中にはチェ スヌにまつわる遺品が展示されていた。書籍は総て国立中央博物館に寄贈されたとある。
記念館に入ったら若い綺麗なお嬢さんが韓国語で館内を丁寧に説明してくれた。一緒にいたCさん、Nさんに時々通訳をしてもらった。







スタジオで
事前打ち合わせスタジオ本番前
本番前マイク不気味なON AIR表示
髪の毛が薄いものだからヘッドホーンを付けるとまるで髪の毛が見えない。一体どこにいっちゃったの。ガラス越しにいかにも馴れ馴れしそうにしているのが僕。今回は翻訳研究会のメンバーであり、写真を勉強しているグループのメンバーでもあり、かつ毎週15分のラジオ番組を持っているNさんの番組に出演した。今回の韓国旅行の目的の一つ。
と言っても生放送ではなく、録音だったので至極気楽も気楽。だからこの場所も放送局ではなく録音スタジオ。Nさんの他に僕の先生が一緒に出演することになった。翻訳研究会の副会長で写真グループのリーダーのCさんも付き添いで駆けつけてくれた。
Nさんとは随分前から日本の伝統的な習慣についていろいろとアドバイスを続けてきた関係で、今回出演が決まったのだが、放送の内容は僕が8年前からYさんの日本語を勉強するお手伝いをしているキッカケから今の状況をお話しすることだった。録音でいくらでも編集できるからと言われ、ついついその気になった。1回でOKが出て約1時間で録音は終了した。
最後に僕から1曲リクエストを出す流れになっていて、事前に聞かれたので、ちょっと古いのだがエルビスプレスリーの「Can’t help falling in love」をお願いして番組の最後に流していただいた。
録音が終了した後、付き添いのCさんからご主人からのプロポーズにこのCDをもらったと聞き、思わぬところで話が盛り上がった。




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