やっちゃんの珈琲たいむ

2016年10月

昔の仕事仲間たち
グループ展は横浜馬車道にあるギャラリーで開催されていた。
案内状に本人が当番をやっている日時が書いてあった。折角展覧会に行くのだったら、ご本人に会えればこんなうれしいことはない。ギャラリーのエレベーターの扉が開いたら、椅子に見たようなメンバーが座っている。よくよく見たらみんな昔の同僚だった。久しぶりに会うからパッと見では誰だかわからない。
展覧会のお陰で懐かしいメンバーとコミュニケーションを交わすことができた。
作品を背景にして写真の真ん中に座っている人が展覧会の案内をくれたSさん。長い間、画材、デザイン用品のスペシャリストでお客様の相談にのってきた。ご本人が絵を趣味にしていたから、お客様への対応が単なる販売員ではない。現役時代から毎年、展覧会を開催しているから数十回開催したことになる。一つのことに打ち込むことができる人は幸せだ。ちなみに左にいる女性Kさんも書道用品、画材のスペシャリスト。こちらも長い間書道に取り組んでいる。
女性のKさんを除けば、4人の平均年齢はほぼ74歳。久々のOB会になった。

イセザキモール入口
イセザキモールイセザキモールイセザキモール
イセザキモール不二家発祥の地花見煎餅
有隣堂本店文明堂みのや本店
ブログを立ち上げる時、文句だけは書くまいと心に決めてスタートした。だから今まで数千回アップしているが不平不満や文句はあまり書かないようにしている。書いても自分自身後味が悪くなり、情けなくなるのが嫌だったから。
昔の同僚から絵のグループ展の案内をいただいたので、覗きに行った。秋晴れの素晴らしいお天気だったので伊勢佐木町経由で展覧会場のある馬車道に出かけた。伊勢佐木町経由にしたのは僕の古巣の本店がここにあるから。
横浜の商店街といったら昔は伊勢佐木町だった。ところが横浜の拠点が西口に移動してから、古い街・伊勢佐木町は見る見る荒んだ商店街になり、行くたびに失望させられる街になっていく。その昔、買い物をしやすいように長い距離を煉瓦張りの24時間歩行者天国にしたが、今はそれが全く生きていない。
時代と共にお店のオーナーが廃業して、店を人に貸し家賃収入で食うようになったから、イセザキモールなどと格好良い名前が付いていても商店街のテナントミックスがめちゃめちゃで無法地帯。商店街の顔が全く見えない。老舗が辛うじて数店(下段に5店舗の老舗を載せた)残ってはいるものの元気がない。
時代が変わり、わざわざ店に出かけなくても買える時代、お店のありようは昔以上に魅力がなかったらお客様は足を運ばなくなった。商店街としての態をなしていない荒れ放題の伊勢佐木町はどこを向いているのだろう。
写真は綺麗に撮れるから見えないが、何せ通りが汚らしい。走ってはいけない自転車が我が物顔で走る。夜になると暗くて怖いとなっては最悪!
先ずは全店舗でモールの大掃除あたりから毎朝開店前にやってみたらどうだろう。







オコゼ
オコゼオコゼ勢揃いアジの姿づくりの端にオコゼのお刺身
鬼瓦のような顔をしたお魚オコゼ。背びれに猛毒を持っていて、刺されると腫れあがっていつまでも疼き、病院で手当てをしなければならないほどの怖い魚。この怖い魚が「あじの会」の素材で出てきた。黒っぽいオコゼとオレンジ色のオコゼ。実はこれは擬態で色が変わっているだけで同じ種類のお魚だ。オレンジ色のオコゼの周りがこんな色をしていたのだろう。同じ種類のお魚がこれだけ変装することができるなんて・・・・。餌を捕まえるために、また餌にならないようにいつも緊張しているに違いない。どのようにするとこんなに色を変えられるのだろう。
お魚のさばき方教室「あじの会」に以前も出てきたことがあるが、なかなかチャンスがない。だから危険を冒してさばけば勉強になるのだが今回は数が少ないのと高価なお魚なので先生がさばいてお刺身にして皆に配られた。
味にうるさい人だったらさぞかし、興奮して箸を進めるに違いない。ところが僕は皆が騒ぐほど珍味が出て来てもエキサイティングにならないあじ音痴なのだ。オコゼのお刺身はなかなか食べられない貴重品だからその違いを分かりながら食べないと意味がない。
下段右端の写真の中にオコゼのお刺身が写っている(お皿の右上にのっている白身の刺身)。食べ方の順序を間違って、何だか分からないうちに口の中に入ってしまった。通が聞いたらおこられそうだ。

高橋洋子さんの最新作
高橋洋子さん
僕がファンである南伸坊さんの柔らかな線のネコが表紙を飾っている。今年の春さきに友人から「面白い本が出たよ!」と知らせてきた。高橋洋子さんが久々に書き下ろした「のっぴき庵」。早速、手に入れて読んだ。
彼女らしいタッチで人間模様が描かれ、すぐ読み終えた。舞台が下田だったこともあり、地図を想像して楽しく読ませてもらった。
韓国行の前に、この本が懐かしい手紙付きで高橋さんから送られてきた。早速、お礼の手紙を出して、時間が取れたら会いましょうという約束をしておいた。
それから僕は韓国に出かけてしまったのだが、携帯の充電が面倒なので携帯の電源を切っておいた。何んとなく気になってソウルのホテルでスイッチを入れてみたら、沢山のメールや電話が入っていた。その中に、高橋さんからの電話も・・・。ソウルにいることを告げ、帰国次第連絡する旨を伝えておいた。
帰国してすぐ親友を連れて横浜で再会することになった。驚いたことにもう還暦を越えている。自分の年を考えれば当たり前か。流石、女優さん!可愛らしく綺麗なこと。
高橋さんは映画「旅の重さ」でデビュー。1973年にはNHK朝の連続テレビ小説「北の家族」のヒロインを務めてから沢山の映画やテレビドラマに出演。一方で小説を書き、1981年には第7回中央公論新人賞を受賞。1982年には「とうりゃんせ」が第87回芥川賞候補になるなど注目を集めた。
久々に「のっぴき庵」を発表するとともに、28年ぶりの復帰で映画「八重子のハミング」(2017年公開予定)を撮り終えたばかりだった。
生来の明るさと頭の回転の良さで楽しい飲み会を終了。じいさん2人を大いに喜ばせてくれた。酔っぱらいの2人のじいさんの顔はカットしてブログに載せた。
昨日から読書週間が始まった。是非、気楽にお読みいただきたい1冊だ。



翻訳研究会の전さん翻訳研究会副会長쵠さん翻訳研究会・僕の先生최先生
翻訳研究会会長김さん翻訳研究会の손さん翻訳研究会の노さん翻訳研究会の임さん
유さんカメラマンチーフカメラマン翻訳研究会の박さん
日本人留学生Yさん
韓国の11日間の旅はかってないくらいの過密スケジュールだった。ハードスケジュールだったのだが、沢山の親友たちのお陰で、実に充実した時間だった。特にここにアップさせていただいたメンバーはみんな一所懸命日本語の勉強をしていて、2か国語を使い分け、日本の小説を一所懸命韓国語に翻訳している。日本大好き人間ばかり。頻繁に日本を訪れてもいる。みんな良い顔をしている。この顔を見たらもっともっとコミュニケーションを交わさなければならないと思った。韓国でお会いした方々の顔はいままでアップしたブログの写真からトリミングした。全員をお同じ四角形に収めたかったが、PCをよく熟知していない弱さ。いくらやってもなかなか同じ大きさにならず、ついに諦めた。メンバーのお名前もイニシャルで表現していたが、分かりにくいので韓国語で表示した。
写真1段目、전さん、최さん(翻訳研究会の副会長)、최先生。2段目김さん(翻訳研究会会長さん)、손さん、노さん、임さん、3段目유さん、カメラマン、チーフカメラマン、박さん、4段目日本から留学中のYさん。

帰りがけに「次に来る時にはもう少し韓国語の会話力をアップしておきます!」と大見得を切ってしまった。少し調子にのりすぎたが、少しでも空約束にならないよう老骨に鞭打って頑張りたい。
僕が大見得を切ったものだから、メンバーが送って来る最近のメールが今までは日本語混じりだったのに韓国語だけになった。さ~大変!

11日間を2倍もの長さに引きのばしてブログにアップしてしまった。これは少しでも僕が見たり聞いたりしたことを皆様にも共有していただきたいと思ったから。このブログは韓国の仲間の方々にも見ていただいている。
長い間お付き合いをいただきありがとうございました。



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