





同じ公園の中だが、2つ目は浅川巧(あさかわたくみ)さんの立派なお墓。
お墓の形が韓国式だというのも韓国の人たちにとってはとても好意を持たれていた。斉藤音作さんも知らなかったが、浅川巧さんも僕は知らなかった。浅川さんは朝鮮半島の自然と民芸を深く愛し、日韓友好の礎を築いた林業技師・民芸研究家だった。
1891年に山梨県の現在の北杜市に生まれ、1914年にお兄さん(浅川伯教)を追って朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府の林業技師に就任した。現地の風土に適した養苗法を開発。植林を推進した方だ。
松の苗育成期間を2年から1年に短縮したのは今も高く評価されている。
朝鮮各地を巡る中、陶磁器や木工などの民芸品に魅了され、収集、研究を開始して、柳宗悦やお兄さんの浅川伯教と共に朝鮮民族美術館を設立するなど朝鮮民衆の手仕事の美を広く紹介した方だった。











