やっちゃんの珈琲たいむ

浅川巧のお墓
浅川巧のお墓の案内看板浅川巧のお墓ガイドさんの説明
浅川巧のお墓浅川巧のお墓
同じ公園の中だが、2つ目は浅川巧(あさかわたくみ)さんの立派なお墓。
お墓の形が韓国式だというのも韓国の人たちにとってはとても好意を持たれていた。斉藤音作さんも知らなかったが、浅川巧さんも僕は知らなかった。浅川さんは朝鮮半島の自然と民芸を深く愛し、日韓友好の礎を築いた林業技師・民芸研究家だった。
1891年に山梨県の現在の北杜市に生まれ、1914年にお兄さん(浅川伯教)を追って朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府の林業技師に就任した。現地の風土に適した養苗法を開発。植林を推進した方だ。
松の苗育成期間を2年から1年に短縮したのは今も高く評価されている。
朝鮮各地を巡る中、陶磁器や木工などの民芸品に魅了され、収集、研究を開始して、柳宗悦やお兄さんの浅川伯教と共に朝鮮民族美術館を設立するなど朝鮮民衆の手仕事の美を広く紹介した方だった。





斉藤音作のお墓
朝鮮戦争の銃弾跡斉藤音作のお墓斉藤音作の説明版
国立山林科学院でランチをご馳走になった後、2台の車と電車組で忘憂歴史文化公園を訪ねた。
今回の韓国行では翻訳会の人たちが僕のために色々な見学コースを企画してくれた。僕は特に希望はなかったのでお任せしたのだが、企画段階でもめたのがこの日の午後からのお墓参り。折角、韓国に来るのにお墓参りは気の毒なのではと、意見が翻訳会の中で分かれたようだが、僕は特に気にならなかった。
お墓は2つで、両方とも日本人のお墓。国立山林科学院が大変尊敬している日本人のお墓だった。
お墓のある公園は普段は車が入れないのだが、日本人が来ると言うので公園内を車で移動する許可をしてくれ、ガイドさんも同行してくれた。
一人目は斉藤音作さん。明治から昭和初期にかけて活躍した森林官・技師。日本の植民地政策と森林政策に深く関わった方だった。不勉強で全く知らなかったが今ある韓国の森林の基礎を作った方だという。今日アップした写真の墓石にはポツポツ穴が開いているが、これは朝鮮戦争の傷跡だと知った。

忘憂歴史文化公園
翻訳会の面々ガイドさんの説明翻訳会会長(右)
ガイドさんの説明盤松盤松の説明
ソウル滞在4日目。この日はお手伝いしてくれる方々が一番集まった日になった。
目的地はソウルのど真ん中にある国立山林科学院の見学。科学院は森林の環境、山林資源、林木育種、生産技術など幅広い分野で研究し、社会に還元をしていた。事前に予約をしないと見学できない施設。翻訳会で事前に下見をし、しっかり予約をしていてくれた。ここでは翻訳研究会のP会長さん(韓国放送大学教授)が出迎え同行することに。
ここは1949年に設立された研究所。韓国山林庁に所属する国立森林研究機関。韓国に育つ植物が総て育てられているような森だった。博士号を持っ先生(黄緑色のジャンパーを着て、同じ色の帽子を被る)が科学院の中を1時間半かけて案内してくれた。韓国語の説明なのだが、ユーモアを交えて実に楽しいツアーだった。日本人の僕を意識して時々、日本語も使うと言うサービスぶり。ツアー最後には大正時代に朝鮮半島に渡った林業技師・浅川巧さんが植えた松の木(最下段中)を見学。科学院の職員食堂でランチをご馳走になった。

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